一ノ瀬友博 (2021) 東日本大震災からの復興に生態系減災は実装できたのか. 農村計画学会誌 39(4), 362-365.
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□論 考□
東日本大震災からの復興において生態系減災は実装できたのか
Has Ecosystem-based Disaster Risk Reduction (Eco-DRR) been implemented in the recovery from the Great East Japan Earthquake?
一ノ瀬友博*
Tomohiro ICHINOSE
*慶應義塾大学環境情報学部 Faculty of Environment and Information Studies, Keio University
キーワード:1)災害リスク,2)気仙沼市,3)国土計画,4)自然再生,5)合意形成
1 はじめに
筆者は2011年3月11日の東日本大震災の発生から約1ヶ月後の4月12日に、初めて被災地の一つである宮城県気仙沼市に入った。2011年9月に発行された農村計画学会誌に気仙沼市の被災状況と筆者の活動を報告しているが1)、当時は調査研究というよりは、被災地の復興に少しでも役に立てればという思いであった。森は海の恋人の活動で既に有名であった舞根地区の高台移転を支援しつつ2)、気仙沼市において復興支援に関わる大学をはじめとしたネットワークの形成3)などを行ってきた。東日本大震災直後の2011年6月に復興構想会議がとりまとめた報告書4)には、自然の持つ防災機能を活かした復興の必要性が示されており、筆者の専門である自然環境分野の知見が復興に少しでも活かせないかと常に思案していたが、当時の被災地の惨状からは、自分にいったい何ができるのか、皆目見当がつかなかった。2011年度は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの教員・学生の有志を募り、気仙沼復興支援プロジェクトを立ち上げ5)、学生たちの発想と教員の専門性を活かし、できることを手当たり次第取りかかるような状況であった。
2012年5月に日本学術会議のシンポジウムが「科学と実践との対話 - 自然再生と震災復興」と題して、岩手県一関市で開催され、筆者も登壇者の一人として話題提供した。その後、日本学術会議統合生物学委員会・環境学委員会合同自然環境保全再生分科会の活動の一環として、仙台湾沿岸域の被災状況を調査した。同分科会の委員長である鷲谷いづみ博士(当時日本学術会議会員、東京大学大学院教授)は、調査の直前に東日本大震災からの復興のあり方について図書を出版したばかりであった6)。調査では、大津波によってマツ林が壊滅的な被害を受けた一方で、海岸植生は着実に回復しつつあることが確認できた。しかし、その仙台湾沿岸に巨大防潮堤が建設される予定であることを踏まえ、自然環境に立脚した防災・減災のあり方について、同分科会で議論が始まった。これが筆者にとって生態系減災に取り組む第一歩となった。
同分科会では、その後議論を重ね2014年9月に提言「復興・国土強靱化における生態系インフラストラクチャー活用のすすめ」を発表した7)。2014年秋には、環境省環境研究総合推進費において、初めて生態系減災を対象とした公募がなされ、筆者が代表を務める研究課題が採択された8)。筆者は、その後の一連の研究を踏まえ、生態系減災についてまとめた初めての和書を2021年1月に出版した9)。生態系減災は東日本大震災以降、日本国内で急速に注目され、研究も一気に活発化した。しかし、東日本大震災からの復興に実装するには、明らかに時間が足らなかった。仙台湾の復興事業に関しては、様々な学協会により防潮堤建設と海岸林造成計画の見直しの要望や具体的な提案がなされたにもかかわらず、それらのほとんどが採用されなかった10)。西廣ら10)は、今後の災害からの復旧・復興に向けて、防災・減災と生物多様性保全を両立させる技術を確立することの重要性を2014年の時点で指摘している。
2 災害リスクと生態系減災
自然災害は、自然の事象(ハザードと呼ばれる)によって引き起こされる。ハザードは地球のあちこちで常に発生していて、それは普遍的な地球の営みである。発生を人間が管理することは極めて困難で、かつハザードは自然生態系を形成する重要なプロセスでもある。そもそもハザードにより人命や財産が被害を受けなければ、災害とは呼ばない。
災害を引き起こすハザードは止めることができないので、災害リスクを下げること(Disaster Risk Reduction, DRR)が重要であるとされている。災害リスクは、ハザードに加え、暴露、脆弱性、キャパシティによって決定される11)。暴露とは、危険な場所に人が住んでいたり、財産が置かれていることである。脆弱性には、様々なものが含まれるが、例えば地震発生の可能性が高いのに耐震性がない建築物に居住しているといったことである。キャパシティは、災害時におけるコミュニティや組織などの対処能力である。
生態系減災とは、Ecosystem-based Disaster Risk Reduction (Eco-DRR)の訳である。健全な生態系は災害を防ぐとともに、災害からの影響の緩衝帯としても機能し、人々や財産が危険にさらされるリスクを軽減するとされ、そのような機能を総称して生態系減災と呼ぶ。つまり、生態系をうまく活かす防災・減災である9)。
生態系減災が広く注目を集めるようになったのは、2004年12月のスマトラ沖地震によって引き起こされた津波災害である。マグニチュード9.1という世界最大規模の地震によりインド洋沿岸を大規模な津波が襲い、22万8000人近い死者・行方不明者を出す、観測史上最悪の自然災害となった。沿岸に位置する都市は大きな被害を受けたが、各地でマングローブ林が津波の威力を軽減したことが確認された12)。森林植生が持つ土砂災害防止機能など、同様の機能は専門家には周知のことであったが、史上最悪の自然災害によって自然生態系がもたらす恩恵が広く人々に認識された。その後国外を中心に関連の研究が盛んになされるようになったが、生態系減災についてまとめられた初めての書籍13)が出版されたのは2016年であった。
3 生態系減災の国土計画への適用
2015 年8 月に新たな国土形成計画(全国計画)と国土利用計画(全国計画)、9月に社会資本整備重点計画が閣議決定された。これらの計画に、グリーンインフラが初めて書き込まれた。そこでは、グリーンインフラは、社会資本整備、土地利用等のハード・ソフト両面において、自然環境が有する多様な機能(生物の生息・生育の場の提供、良好な景観形成、気温上昇の抑制等)を活用し、 持続可能で魅力ある国土づくりや地域づくりを進めるものと定義されている。社会資本整備重点計画では、「地域の魅力・居住環境の向上や防災・減災等の多様な効果を得ようとするグリーンインフラ」と記載されており、生態系減災について言及された。
2015 年11 月に気候変動の影響への適応計画が閣議決定された。筆者は2014 年度に気候変動影響評価等小委員会と気候変動に関する生物多様性分野適応計画検討会に委員として加わり、この適応計画のとりまとめにも関わった。この計画では、度々、生態系減災について言及されている。例えば、海岸における適応策の一つとして、「沿岸域における生態系による防災機能の定量評価手法開発など、沿岸分野の適応に関する調査研究を推進する」と書き込まれており、これまでのグレーインフラにおける防災に加え、生態系減災への取り組みが必要であることが記載された。
これらの一連の動きを経て、環境省は2016年2月に「生態系を活用した防災・減災に関する考え方」14)をまとめ、ハンドブック「自然と人がよりそって災害に対応するという考え方」15)とともに環境省のホームページで公開している。筆者は、この考え方、ハンドブックをまとめる検討会にも委員として加わった。この考え方の中では、生態系サービスの一つとして防災・減災機能が位置づけられることが説明され14)、ハンドブックでは歴史的な生態系減災や基本的な考え方が政策決定者や市民に分かりやすく紹介されている15)。
4 気仙沼市舞根地区における津波被災地の湿地再生
東日本大震災の被災地の中でも、数少なく生態系減災を実装できた例がある。震災以降、筆者も継続的に関わってきている気仙沼市舞根地区である。気仙沼市舞根地区は、被災前に人口169人、52世帯という小さな漁村集落で、津波で44世帯が被災し、5人が亡くなった。舞根地区は、被災後最も早く高台移転の合意形成をした集落として全国に知られていた。生態系減災という視点では、被災地沿岸に巨大防潮堤が建設される計画が明らかにされるやいなや全世帯合意の上で、9.9mの高さで計画されていた防潮堤建設撤廃の要望書を気仙沼市長に手渡し、認められた16)。既に高台移転の合意形成が済んでおり、低地に居住する可能性はなくなっていたことと、津波常襲地域であるため、地震の際には舞根湾の水位を確認し、避難の必要性を判断しなければならないからである。また、巨大防潮堤により舞根湾の美しい景観が失われることへの懸念も聞かれた。
https://gyazo.com/c84b8d2753ab40f92abdf528b57bb581
図1 気仙沼市舞根地区の保全湿地
下部がNPO法人森は海の恋人によって保全されている湿地で奥に見えるのは、舞根湾である。2021年1月16日に筆者が撮影。
https://gyazo.com/d79e0e58d6d0d945a346667ffdb9cb49
図2 開削された西舞根川の護岸
右側が保全湿地。西舞根川との水交換が容易になった。2019年12月21日に筆者が撮影。
加えて、舞根地区ではNPO法人森は海の恋人が中心となり、津波浸水範囲に形成された湿地の土地を買い上げ、保全している(図1)。東日本大震災の津波被災地では、農地が浸水被害を受け、その後多くが湿地化していた。その湿地にはかつての自然環境が再生しつつあったが、そのほとんど全てが農地復旧事業で埋め立てられてしまった。舞根地区の湿地は残された唯一の湿地となった16)。
2019年9月には、この舞根地区で小さな工事であるが、大きな一歩が踏み出された。保全された湿地に隣接する西舞根川の護岸が開削されたのである(図2)。震災後、地盤の沈下と護岸の一部崩壊により、保全湿地と西舞根川の間では水交換がなされていた。湿地は河口部に位置するため干満により海水も流入している。しかし、徐々に地盤が上昇するにつれ湿地の陸化が進行していた。湿地の生物多様性を維持するためにも水交換量を増やす必要があった。湿地はかつて農地であったが、その後雑種地に用途を変更され、今後農地として使われることがない。しかし、河川区域ではない土地と隣接する河川の護岸を開削するというこれまで前例のない工事を行うことには様々な困難に直面した。詳細は、畠山の論考16)を参照いただきたいが、湿地周辺の地権者全てに同意を得ることにより、工事が実現できた。保全された湿地は実に小さなもので、堤防開削工事も数mであるが、被災地の生態系減災としてはとても大きな一歩といえるだろう。この舞根地区では、震災以降、東京都立大学横山勝英教授をはじめ、数多くの研究者が巨大災害に襲われた地域の自然環境の変化をモニタリングしてきた。筆者は湿地の保全やこの河川の開削事業にほぼ何も貢献できていないが、その研究メンバーの一人である。科学的なデータに加え、地域の合意形成、行政との連携があって初めて生態系減災が実装される実例と言えよう。
https://gyazo.com/a08ddc239685e3f58ea6d4ec1956d687
図3 大谷海岸と国道45号
右に見えるのが大谷海岸の砂浜で、国道45号はセットバックされ、嵩上げされた。2019年12月22日に筆者が撮影。
4 気仙沼市大谷海岸における防潮堤・道路の一体整備
同じく気仙沼市の事例であるが、国、県、市が関わる規模の大きな事業としては大谷海岸の復興事業を挙げることができる(図3)。大谷海岸は気仙沼市の南部に位置し、日本の海水浴場55選にも選ばれた美しい砂浜の海岸であった。津波より海岸は大きな被害を受け、当初の宮城県の計画では砂浜の上に防潮堤を建設するというものであった。この計画策定には、行政と住民の意見交換が十分でなく、地域住民は計画の一時停止と住民意見の反映を求める署名活動を行った。住民からは防潮堤をセットバックさせるために、隣接する国道を嵩上げして防潮堤と兼用させる案が上がっていたが、当初は実現困難とされていた。地域住民は行政機関や専門家を招いた勉強会を重ね、2014年に有志によって大谷里海づくり検討委員会が結成された。この検討会と大谷地区振興会連絡協議会(地元自治会)が協力し、国、県、市と2年以上にわたる協議を行った結果、2016年夏に防潮堤のセットバック、国道との兼用堤化が大筋で合意された。
筆者は、被災間もない2011年夏に大谷地区を訪れ、地域住民の数名と高台移転などについて意見交換する機会があった。当時既に大谷海岸の復興のあり方については、住民の方から懸念の声が挙がっていた。気仙沼市では、2012年7月に「防潮堤を勉強する会」が結成され、のちに大谷里海づくり検討委員会の事務局長を務めることになる三浦友幸氏は、その発起人の一人であった。この「防潮堤を勉強する会」は、当時防潮堤についての賛否が激化する中で、中立的な立場で防潮堤計画を勉強しようという趣旨で設立されたものであった17)。そのような素地もあり、地域における粘り強い合意形成をテコに行政と協議を重ね、当初は実現不可能と言われた防潮堤のセットバックを実現した。防潮堤がセットバックされたことにより、以前の通りはいえないが海岸景観を維持することができた。環境省が発行しているグリーンインフラと生態系減災の事例集においても、優良事例として東日本大震災の被災地から唯一紹介されている18)。
5 おわりに
これまで述べてきたように生態系減災は、国際的にも新しい分野であり、多くの研究や事例が蓄積されつつある。日本では東日本大震災を契機に注目されるようになったこともあり、その復興に実装された例は限定的であった。しかし、日本にかつてから存在する霞堤や輪中、命山といった技術も生態系減災の一つとして見直されてきており、これから急速に実装が進むであろう。近い将来の気候変動に加え、日本は急激な人口減少と高齢化を迎えている。生態系減災には、これまでの土木インフラに比べより広い空間が必要とされるが、災害リスクが高い土地の自然再生と防災・減災を両立させる方法として積極的に導入すべきである。農村計画学会が主に対象とする農山漁村地域は、大きな可能性があるといえるだろう。
謝辞
気仙沼市舞根地区の湿地保全について、東京都立大学横山勝英教授、NPO法人森は海の恋人畠山信副理事長に情報提供と現地の案内をいただいた。気仙沼市大谷海岸の整備については、気仙沼市市議会議員三浦友幸氏に情報提供いただいた。この場をお借りしてお礼申し上げたい。本稿は、環境研究総合推進費JPMEERF20154005及びJPMEERF19S20530、 JSPS科研費JP18H03799の研究成果の一部である。
引用文献
1) 一ノ瀬友博(2011):宮城県気仙沼市の被災状況と現地調査速報.農村計画学会誌,30(2),115-117
2) 一ノ瀬友博(2016): 防災集団集落移転促進事業と気仙沼市舞根地区におけるオーラルヒストリーの収集. 農村計画学会誌,34(4),415-418
3) 一ノ瀬友博(2012): 宮城県気仙沼市の復興と大学ネットワーク. 農村計画学会誌,30(4),537-539
5) 一ノ瀬友博(2016): 特集「東日本大震災からの復興と人口減少時代の国土のあり方」巻頭言. KEIO SFC JOURNAL,16(1),4-7
6) 鷲谷いづみ(2012): 『震災後の自然とどうつきあうか』. 岩波書店, 東京.
9) 一ノ瀬友博編(2021): 『生態系減災 Eco-DRR−自然を賢く活かした防災・減災』. 慶應義塾大学出版会, 東京.
10) 西廣淳・原慶太郎・平吹喜彦(2014): 大規模災害からの復興事業と生物多様性保全:仙台湾南部海岸域の教訓. 保全生態学研究,19,221-226
12) Kathiresan K. and Rajendran N. (2005): Coastal mangrove forests mitigated tsunami. Estuarine, Coastal and Shelf Science, 65(3),601-606
13) Renaud F., Sudmeier-Rieux K., Estrella M. and Nehren U. Eds (2016): Ecosystem-based disaster risk reduction and adaptation in practice. Springer International Publishing, Switzerland.
16) 畠山信(2020): 「防潮堤無し」を選択した舞根地区 : 自然環境保護を目的とした災害復旧工事. 環境と公害,49(4),14-20
17) 三浦友幸(2015): 気仙沼市「防潮堤を勉強する会」の経験から. 日本リスク研究学会誌, 25(1),3-8